コロナ太りして、気づいたこと

摂食障害の過去が思い出させてくれた、自分を受け入れることの大切さ

久しぶりにデニムを履いたら、キツイ。やばい。…けど、ま、いっか。

わたし(45歳女性)がコロナ太りを最初に自覚したのは、今年3月の朝、出勤前に身支度をしていたときのことでした。ふと思い立ち、しばらく履いていなかったデニムを手に取り、履いてみたのですが、何かがおかしい。ワンウォッシュのインディゴデニム。太めで真っ直ぐな形をゆるっと履くことを想定したボーイズデニムと呼ばれるものでしたが、まず、ゆるっとしない。以前は少し腰で落とし気味に履いていましたが、ウエスト周りで止まってしまい、腰のところに落ちて来ない(!)。もともと太めのデザインですからムチムチとまではいきませんが、太もものあたりもほとんどゆとりがなくなっている。ストレッチのかかっていない、厚手でハリのある布地ですから、想定されていたゆとりがなくなると、がっちり着太りして見え、なんとも垢抜けない姿になりました。その日は服を選び直す気力も時間もなく、そのまま仕事に出て一日過ごしたのですが、どうにも落ち着かない、ちょっと自分を惨めにすら感じる一日になりました。

太った理由は単純で、コロナ禍で在宅勤務が推奨され、日常的な運動量が減ったこと。職場近くにあるキックボクシングのジムからも遠ざかったこと。同時期に多忙さが増し、代わりの運動を取り入れなかったこと。食生活も徐々にルーズになり、振り返ってみると、ひんぱんに間食していました。体重計を持っていないため、厳密に何キロ増加したかは不明ですが、太ったことは確実です。改めて考えると、パソコンに向かって仕事をしているとき、座っていて、ウエスト周りや太ももの肉が邪魔だなと感じることが常態化していました。

コロナ禍で太ったという人は決して珍しくなく、NHKは早くも去年6月、57%の人が「体重が増加した」と回答したことを報道しています。(調査は大手保険会社によるもの)今年に入って、アメリカでも米国心理学会が同様の調査を行い、25歳から42歳のミレニアム世代の7割が、平均18キロ(!)の体重増加を経験したと答えています。(ニューズウィーク日本版記事)それに応えるかのように、女性誌などでは、増えてしまった体重をどのように落とすか、あるいは、どうやって体型をカバーするかについて記事がたくさん出ています。私もできれば少し減量したいのが本音です。

一方で、私のなかには安堵の気持ちがありました。太った自分を、「やばい」と言いながらも落ち着いて受け入れられたからです。

私には、かつて、診断こそ受けなかったものの、摂食障害と言って良い状態だった時期があります。学校を卒業して就職した25歳のころ、食と外見にまつわる強迫観念に支配され、通常の社会人生活を送るのも難しいくらい、苦しい思いをしました。最もつらい状態からは1年程度で脱出できましたが、太ることや、自分をコントロールできなくなることへの恐怖を完全に消し去ることは難しく、「回復した」と感じられるまで、実に10年ほどかかりました。そして、回復後の35歳のときですらも、うっかりとは太れない、心の障壁が残っていました。ひとたびお菓子に手を伸ばそうものなら自責の念にかられ、取り返しのつかない失敗をしたかのように感じて自暴自棄で過食したかもしれません。ワンサイズ分太る前に、不安と恐怖で、心身の健康を損ねたかもしれません。

そのため、コロナ禍で生活が急激に変わった当初は、心の奥底に眠っていた強迫観念がまた顔を出すのではないかと恐れたのです。実際、多少は心理的なせめぎあいがありました。けれど今回、45歳のわたしは、生活の変化に順応し、自分をほどほどに甘やかしてパンデミックを乗り切り、「やれやれ、太っちゃった」と言うことができました。自分を責める気持ちは湧いてこず、強迫観念にかられることもありませんでした。キツくなってしまったデニムは当面寝かせておいて、伸びる素材のニットパンツを履くことにしました。これならまんざらでもないんじゃないか?現在の私は理想の体型とは言えませんが、心身の健康を保てたことを、まずはほめてあげようと思います。

理想的な体型に近づきたい、美しくなりたいというのは、多くの人が抱く普遍的な願望だと思います。ただし、現在の自分を否定することなく、理想を目指すのは意外と難しいと、わたしは25歳から35歳の10年間で学びました。わたしたちは、誰かの物差しで自分の外見を差別し、自分で自分を傷つけてしまいがちだからです。今、わたしは「パンデミック前のサイズに戻ること」を目標に減量に取り組もうとしているわけですが、同時に、どうやって自分を認め、受け入れられるようになったのかを、その道のりを整理しながら、改めて考察したいと考えています。それはわたしが、誰かの経験談を読むことで励まされ、助けられてきたから。同じように、わたしがもがいた道のりを明らかにすることで、今、自分の体型にコンプレックスを抱き、人知れず苦しんでいる誰かの役に立ちたいと切に願います。以下、前3回にわたって、25歳から今日に至るまでの個人的な体験と学びについて記していきたいと思います。少しでも興味を持って読んでいただけたら幸いです。

【参考:摂食障害とは】
摂食障害|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

厚生労働省のホームページでは、「食事の量や食べ方など、食事に関連した行動の異常が続き、体重や体型のとらえ方などを中心に、心と体の両方に影響が及ぶ病気」と説明しています。わたしが過去の自分が摂食障害であったと述べるにあたっては、このホームページ並びに他の専門書の定義と合致することを根拠にしています。なお、同ページでは、摂食障害は10代から20代の若者がかかることが多く、女性の割合が高いのですが、年令、性別、社会的、文化的背景を問わず誰でもかかりうる病気であること、日本で医療機関を受診している摂食障害患者は1年間に21万人とされているものの、未受診や治療中断した人もいるため、実際はより多くの患者がいるであろうことにも言及しています。

摂食障害—25歳の私に起こったこと

わたしが、食べることと体型に関して、病的なループにはまったのはおよそ20年前、25歳になる少し前のことです。ちょっとした甘いもの依存と数キロ程度の体重増加から始まり、過食の果ての激太り、過食嘔吐、そして食べることへの恐怖というふうに続いていきました。当時、わたしは学校を卒業して就職し、知人のいない大阪で暮らしていました。念願の「自活」だったはずが、全く上手くいきませんでした。仕事をすればどんくさい。仕事内容を面白いとも思えない。職場の人間関係にもなじめない。しんどいなあと思いながら、重い心を引きずるようにして、会社に通っていました。周囲に親しい人もおらず、誰かと本音で話をするようなこともありませんでした。全国各地に配属された同期はそれぞれがんばっているだろうし、学生時代の友人たちも新しい人生を踏み出している。漠然とうまくいっていない状態で連絡を取るのははばかられました。家族にも、電話ひとつしませんでした。家族との関係があまり良いとは言えなかったので、むしろうまくやっていけないわたしの方がおかしいと責められるのではないかと恐れたのです。

そんなある日、自転車で出勤途中に気分を上げようとスターバックスに立ち寄りました。学生のころはお金がなかったので、こういうお店で注文するものといえばコーヒーばかりだったのですが、その日は出来心でシナモンロールを注文しました。朝のカフェでしばし過ごすのはなんとなくいい気分でしたし、甘いシナモンロールを食べたら少しばかり元気が出た気がして、いつもよりいくぶん楽に一日を乗り切ることができました。

その日以来、わたしはカフェに立ち寄っては、コーヒーと甘いものを口にするようになりました。そのひとときが、元気なふりをして働く精神状態を保つのに欠かせないもののように思えて、どんどん頻度が高まっていきました。その結果、大阪に越して5ヶ月、秋の健康診断では、体重が5キロほど増えていました。身長165センチで57.6キロ。自分が太りつつあることには薄々気づいていましたが、具体的な数字を目にして「恥ずかしい」と思いました。女性誌がとにかく華奢でスリムな体型をもてはやし、BMIや体脂肪率ではなく「身長から120を引いた数」を女性の理想的な体重と謳っていた時代。わたしも完全に洗脳され、体重50キロ代後半は「人に言えない」数字だと感じていました。さらに、太ったという事実以上に、「自分をコントロールすることに失敗した」ということをひどく恥じ、敗北感に苛まれました。

そこからです。却って食欲や感情を制御できなくなったのは。丸一日何も口にする気になれず、絶食状態ですごすのですが、帰りにふとコンビニに立ち寄ると目に映るものすべて、棚の端から端まで欲しい、食べたい。実際に、夜のコンビニのパン売り場に残っていた食パンやらあんパンやらメロンパンをまとめて買って帰り、家にたどり着くなり食べ尽くしたこともあります。自暴自棄な衝動のあとには激しい罪悪感に襲われるのに、やめられない。絶食と過食を繰り返しながら、わたしは急速なペースで太っていきました。ひと月も立たないうちに手持ちの服が入らなくなり、駆け込んだGAPで購入した服のサイズは8でした。当時のサイズ展開は確か、00から始まって、0、2、4、6、8、10、12。それまではいわゆる9号サイズに当たる2を着ていたことを考えると、かなり急激な太り方です。体は常にだるく、肌は吹き出物だらけになりました。一刻も早く自分を取り戻したい。けれどもそのときわたしの食欲は完全に暴走していて、コントロール不能。12月、25歳の誕生日を迎える頃には、食べたものを吐くようになりました。いったん胃に収めたものを吐き出すのはかなりつらい行為です。喉の奥に手を突っ込んで吐くのですが、指先が当たって喉の入り口が傷つき、しゃべったり水を飲んだりするのが辛くなりました。人差し指の付け根の関節にはタコ(いわゆる吐きダコと言われるもの)ができました。体内の電解質のバランスが崩れたのか、だるさが増し、脈が乱れて体を起こしていられなくなったこともありました。そしてなにより、自尊心が崩壊しました。異常なことをしていると頭では理解しているのに、行動を制御できない。そんな自分を惨めに感じて、消え去りたいと思いながら日々を過ごしていました。

執着の矛先をずらしたら

今思い出すのもつらい時期でしたが、幸い、どん底には長く留まらずに抜け出すことができました。数ヶ月後、期せずして、仕事とは全く関係のないところで友達ができたのです。それがきっかけとなり、状況が改善していきました。太る前の自分を知らない人と過ごすのは気が楽でしたし、その友人を通じて、たまり場のようになっているカフェに顔を出すようになると、思いのほかあたたかく迎え入れられて居場所ができました。それによって職場になじめないことが相対化され、自分がおかしいわけではないんだと思えるようになりました。すると、自分の内面と外見のことでぐるぐる回っていた意識の矛先が逸れ、それに伴って過食や嘔吐の頻度が減っていきました。さらに、人の手で作ったものを食べるようになったのも、状況を好転させる助けになりました。カフェのオーナーが出してくれるお手製のカレーは、コンビニで売られている袋入りのパンとはまったく違い、血の通った食事という感じがしました。食事で心を満たす感覚を取り戻したことで、食べ物を味わわずに詰め込んだり吐き出したりすることから遠ざかることができました。つまり、わたしは偶然の出会いに助けられて、最悪の状態に至る前、ギリギリのところで引き返すことができたのです。たったひとつの縁がきっかけで物事が好転する。その起点となった友人には、20年たった今でも、感謝しています。わたしは決して社交的なほうではなく、この友人と知り合ったのもたまたまのことでした。ずっと自分で物事をコントロールしようとして失敗して苦しんできたのに、ふと縁に身を任せることができたら、楽になることができました。自分だけで全てをなんとかしようとしなくていいんだと教えてくれた、そのことに心から感謝しています。

※詳しい回復の過程はこちらに書いています。ご興味のある方はお読みください。

さて、この経験から、若くて未熟だったわたしは自分について多くのことを学びました。まず、太っているとかやせているとか、見てくれのあれこれが、自信であるとか自尊心であるとかいった内面的な感覚に深く結びついていたこと。体重が50キロ代前半であるとか25インチのジーンズが難なく履けるとか、そうした事実が自分の内面を支えていたことに、自分でも驚きました。どういうことかと言えば、人からどう見られるかによって自己肯定感を保っていたということだと思います。自分では、学生時代から、中身を磨く努力をしていたつもりでした。大学院に進んで政治学を勉強したのちに、テレビ局に就職し、ディレクターとして番組を制作する。運よく努力は報われて、世間的には順調に人生を歩んでいるように見えたと思います。しかし、順調だったのは履歴書に書ける表向きの部分だけで、自分自身がどんな人間でありたいのか、何ができるのか、何をしたいのか、わかっていませんでした。そして何より、今の自分がどんな人間なのか、いいところもイマイチなところも含めて自分を受け止めるということが足りていませんでした。そのため、配属された部署の仕事にも打ち込めず、職場の空気にもなじめなかったときに、「自分はダメな人間だ」と感じて、自分をまるごと否定してしまったのです。そしてせめて、外見上は上手くいっているように見せることがプライドの最後のよりどころになりました。だからこそ、数キロ太っただけで失望して、自らを摂食障害に追い込んでしまったのだと思います。もし、自分の個性を知り、自分を受け止めるということができていたら、仕事が合わなかったとしても自分を責めることをせず、より自分に合った仕事をするにはどうしたらいいか考えられたかもしれません。自分を恥じずに誰かに相談できたかもしれません。体重が増えたからといってパニックにならずに「それはそれ」と受け止められたかもしれません。

社会に生きている以上、他者からどう見られるかを全く気にせずに生きていくことはできません。そして、その多くは外見によって左右されてしまいます。だから私たちは、身だしなみに気を配り、自分らしく装うのです。だからと言って、自分の価値を外見に置いてしまうと、自分を見失い、苦しくなってしまいます。

完璧でない自分と、ほどよく折り合いをつけること。

物事が理想通りにいかなくても受け入れること。

自分を減点法で採点しないこと。

これらすべて、手入れの行き届いた姿を保つことや仕事で業績を達成することと同じくらい、あるいはそれ以上に大切なことなのだと、今の私は知っています。だからこそ、20年後の春、キツくなってしまったジーンズを前に、わたしは自分が成長できたことを実感し、よかったねと心でつぶやくことができたのだと思います。

お読みくださってありがとうございました。

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Yoshie ICHIJO-KAWADO

TV producer based in Tokyo. Creating a safe space for women with empathy and honesty.